1_130522174201_1
「合格だってさ」
 悦嗣の隣に英介が座る。
「何が合格だ。おまえ、わかってんのか? 俺は素人同然なんだぞ。立浪の名前まで出しやがって。いつの間に、そんな小賢しい真似、覚えたんだ」
「エツ」
 もう一本、煙草を咥えて火を点けた。
「おまえはいつも、俺の欲目が過ぎるっていうけど、」
 英介は悦嗣の口からて、灰皿に突っ込む。
「彼らがおまえで良いって言ってるんだぞ。ずっと友達やってる俺じゃなく、プロが言ってるんだ。少しは自分の評価を上げろよ。弾けてたじゃないか」
「あれが弾けてたって言うか」
 ケンカ腰のタッチだった。途中で止まるものか…という意地で、ただ弾ききった。あれ以上、英介の困惑した顔を、見たくなかったからだ。
「とにかく、早く代わりをあたれ。義理は果たしたぞ。おまえの超過大評価に対しても、教授の恩に対してもな」
「エツ」
 飲まなかった缶コーヒーを英介に突きつけるようにして渡すと、悦嗣は立ち上がった。
「もうこの話は終わりだ。俺は帰って寝るからな!」
 そう言うと足元に置いた商売道具を抱え、エレベーターの方へ踏み出した。

 加納家の末っ子?夏希は、玄関のドアを開けようとした時、離れのレッスン室に灯りが点いていることに気がついた。
 腕時計を見ると、十時を回っている。生徒が来ているはずがなかった。
「ただいまぁ」
 それでは母が指ならしか何かしているのかと思ったら、居間の方からその母の声が秋薑黃 功效返ってきた。
「お帰り。遅かったわね。ごはんは?」
 居間に入ると、父と母が仲良く並んでテレビを観ていた。
「食べてきた。レッスン室、電気点けっぱなしだよ」
「エツが使ってるのよ」
「エツ兄が? 調律に来てるの?」
「弾いてるのよ。夕方からずっと。自分とこじゃ、防音になってないとかなんとかってね」
 母は時計を見やると、立ち上がってキッチンに入った。
 トレイにマグカップを一つ置いて、コーヒーメーカーに残っているコーヒーを注いだ。
「エツ兄がうちで弾くのって、卒業以来じゃない?」
 夏希は自分のマグカップを戸棚から取り出すと、母の前に差頭風中醫し出した。
「そうなのよ。今、英介君が帰国してるって言うから、刺激されたのかしらね」
「ふーん、これエツ兄の? 私、持ってく」
 母が持ち上げたトレイに自分のカップを乗せて引き取ると、夏希は居間を出た。
 加納家は少子化の現代では珍しく、四人きょうだいである。上三人が男――悦嗣は二番目――で、皆、独立して家を出ている。末の夏希は両親待望の女の子で、悦嗣と同じ月島芸大に在学中。器楽科で弦楽(チェロ)を専攻している。