人間というものは、なにかがなければ自然に気付くということはないと思います。

たとえば、私の母。
70歳を超えたある日、シワが顔にある、と驚Toshiba冷氣いてショックがっていました。
70歳でシワがあるのは当然なのに、自分とは全く無縁の世界で、ある日当然、シワを発見して、愕然とする母をみて、私が愕然とした記憶があります。
もう20年近くも前のことです。
自分の母ながら、母の頭の中身を想像してみました。
現実を逃避しているのではなく、自分を客観的に見ることができないのです。

姑も同じ。
30年数年前、出会った当時から姑のほうが、頭脳は冷氣機價格比較数段上だと感じていましたが、あくまでも脳の出来がよいだけのことで、今では、私の母と、だいたいのところは、あまり変わらないかんじです。

つまり、全く個性の違う、ほとんど同じ年齢の女性が、ほとんど同じになっている現実を突きつけられると、人は皆、大なり小なり、ほぼ同じで違いがないのだと感じます。
年齢による特徴は大きいです。
赤ちゃん、幼年、青年、壮年、老年と、大きなくくりで見ると、いかに自分は唯一無二で、他人とは違うと自負していても、大して変わらないということです。

自分だけは、例外、自分は若い延長のままない、これからも、と思っている人がいると、気持ちはわかりますが、客観的な目が不足しているように思います。

ある程度の年齢になると、年齢を自覚し、その年齢に訪れる事鋁窗態を予測して覚悟しないと、私の母のように、ただただ、当たり前の事実を嘆くことになります。

私はどんな高齢者になるかな?
無能を認め、ぐうたら手抜き、努力をしないで、安らかに年をとっていくことでしょう。
今のまんまです。
それでよいと感じます。

凡人の老後?
あがくより、受け入れる、でしょうか。