2016年07月


 自分に甘い。1日に「これだけはする」というリストを作ってみ韓國 午餐肉ても、全部はチェックできずに大抵やり残してしまう。世の中には日々努力を怠らない人がいるというのに、ああ、わたしってダメだなーと自己嫌悪。失敗するのがいやで、計画したり目標を立てるのもイヤになり、ただでさえ張りのない日常がさらにぼんやりしてしまう……の、繰り返し。

 であるならば、どうしたら「やることリスト」をクリアできるようになるんだろうか。……ということを考えるべきところ、あることがあってふと、楽しい方がいいじゃんと、甘さ満載で思いついたのが次のこと。

 予めリストアップするから、「やらなかったこと」が残ってストレスになるのだ。それより、まっさらなところに「やったこと」を韓國 午餐肉どんどん書き加えてポイントを上げて行くのはどうだろう。

 家にいるわたしには、やること、やらなきゃならないこと、やりたいことは細々とたくさんあるのだから、どれをやったって、それで加点したい。実際にいちいち書いたりはしないけれど、ふつうの家事だって犬の散歩だってポイントにする。やったことは多ければ多い方がいいから、ネットもだらだらしていられない。どんどん次の行動に移って得点を増やす。それならやる気も維持できそうだ。

 もちろん子供じゃないので、チョロっとやって「はい、やりましたー!」というの韓國 午餐肉はナシ。「丁寧に」というのを最低限のルールにしたい。

 やらなかったことをり、やったことを思い返す方が楽しいはず。
 ああ、あれやってない、これもやってない、今日もダメだった……じゃなく、
 今日はあれをやったこれもやった、よしよし……ってね。

 というわけで、今日はブログの更新をしたから、ポイント+1。
 よしよし。

我是滄海浮沉間的一粒沙,潮起隨波湧,潮落隨波沉,來是偶然,走是必然,來去隨流水,靜寂無牽掛。蘆花似雪,秋水天長。由來知道,世間萬物,皆有靈性。縱是滄海一粟,也會固有一抹無法拭去的塵埃,獨守著一份無從言說的情長。任憑滄海變桑田,亦要畫地為牢,落定浮沉,靜觀流年。

突然發現,也許,草木山石的情感,比起人類,似乎更執著,更堅定,也更情長。行到水窮處,坐觀雲起時,閑看姹紫嫣紅皆開遍,默感千山暮雪萬裏冰。聚散隨緣,來去隨心,不以物喜,不以己悲。一如天地日月,恒靜無言,淡然自若。只是天地既賦我靈性,我便也不能夠那麼絕徹的無欲無求。

人都說,繁花似錦,夢醉千年。而我卻是唯喜孤獨,不喜喧囂。雖為沙石,卻並沒有沙碩的鐵石心腸。或許,我真正抗拒的並不是盛世繁華,而是害怕繁華落幕後的曲終人散。我雖沒有行雲的悠然,流水的歡暢,卻也算是一個無牽無掛的行者。沒有親友,也沒有名利。縱然也曾有過春花的款款深情,細雨的繾綣柔情,但我依舊拒絕留守,並且不留下半點萍蹤俠影。瀟灑的回身波濤駭浪,什麼是Beauty Box接受著滄桑洗禮。

其實,不是不想留,其實,也曾不想走。只是,花開花會謝,雨落雨亦消,我又要為誰停?為誰留?就像煙花綻放在夜空,曇花一現過後,滿目盡收的,依舊只是那一片漆黑,悵然立中宵,孤楚無人曉,又何必貪戀紅塵一時笑?其實,我是不喜歡漂泊的,卻亦是漂泊了多年。沒有誰解讀過一粒沙碩的悵惘。有時候,也會羡慕天上的白雲,終是有晴空相依,有暖陽相伴,無論飄於何處,始終都沒有離開過藍天的暖懷相擁,不離不棄。而我,又有誰是永恆的眷戀?幸運時,隨波逐流,隨浪歸潮。不幸時,或許一個浪花的無意,就將我無情的沖出了大海的懷抱。

世事變幻無常,豈是一沙一石所能 改變?塵世情愛涼薄,又豈是你我之心所能溫婉?縱然願意傾盡一生芳華為情獨鐘,又有誰懂誰憐?一縷清風襲來,驚我一簾幽夢,它溫柔的抹去我的潮濕,也拂過我的心海。恍惚間發現,自己已經不知於何時,DR REBORN呃人告別了滄海,滾落於桑田。就在我還來不及或悲傷或欣喜的時候,便已置身於清風的懷抱,不由自主,隨風起舞。原來,愛,可以感動我,比起滄海的浩瀚與洶湧,清風的呢喃細語,猶如一股溫潤的清泉,緩緩柔柔的劃過心田,就這樣征服了我的倔強與孤傲,寸寸柔腸皆為之所動。

於是,我便以微笑的姿態,接受著命運的驟然轉變。滄海無邊,它從來不會在意任何一粒沙的去留浮沉:桑田無心,亦是永遠不解一粒沙的情之所向。只有風,縱然相顧無言,卻在無言中將所有心語婉約成一闋青詞,天涯水湄,雲雨朝歌,相依成暖,靜默嬋媛。至此,萬丈紅塵,相伴馳騁。

你是風兒我是沙,纏纏綿綿到天涯。風吹沙,千山萬水不知倦,朝朝暮暮,相伴踏遍紅塵路;沙追風,天涯海角不相離,天地悠悠,有情相守便是家。

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